2009/05/17

『ヘルボーイ』

今日はとにかく、何も考えずにすむ映画を観たい。
そう思った時に観ました、『ヘルボーイ』
ギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』に
度肝を抜かれたので、そのつながりで。
(度肝を抜かれている様子はこちら

怪優ロン・パールマンが主演だというのも、ツボ。
ヘルボーイ、うーん、ものすごくかっこいいぞ。
格好つけ過ぎず、尚且つダメダメ過ぎないところがいい。
ストレートな愛情表現も素敵だ。
「俺と一緒に外は歩きたくないだろ」って…
いや、歩ける歩ける!こんな彼氏がいたら、自慢して歩く!
スーパーマンとヘルボーイ、どっちと付き合いたいかって
言われたら、そりゃヘルボーイでしょ。

半魚人の“ブルー”エルプ役は、『パンズ・ラビリンス』で
パン役だったダグ・ジョーンズ。
あ、ということはあの目玉のおやじ役も、か。
あの薄気味悪い所作が、デル・トロ作品の空気には不可欠だ。
デル・トロ作品におけるダグ・ジョーンズは
ジュネ&キャロ作品におけるドミニク・ピノンだといえる。

きっともうどこかで言及されていることかもしれないが
ギレルモ・デル・トロ監督とジュネ&キャロ監督の世界観には
共通するものがある。
都会的なナンセンス感というか、オタクの美学というか
ビジュアルへの偏執的なこだわりに、いたずらっ子っぽさが
にじみ出ている。
ワタシはどっちの監督も好きだが、気持ち悪さの点では
ギレルモが勝っている。

『ヘルボーイ』は、いわゆるアメコミものなので、
随所に笑いもあり、『パンズ・ラビリンス』のような重さがなく
気軽に楽しめた。
ただ、これを先に観ていたとしても『パンズ・ラビリンス』を
観てみようとは思わないだろうなあ。

デル・トロ・ワールドは今後もチェックしていきたい。
もちろん、続編『ヘルボーイⅡ ゴールデンアーミー』も。

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2009/05/14

新しい出会い

さようなら、talby。あいしていたわ。

でもわたしたち、付き合いが長すぎたのよ。
あなたがどんどんくたびれた姿になるのを
見続けるのは辛すぎて。

だってtalby、あなたったら私が鍵を開けても
あなたはなぜか自動的に鍵をかけちゃうじゃない?
電話もメールもできないんだもの。それってすごく困るの!

だから、最近では、あなたと別れた後のことを
真剣に考えるようになったの。
そう、新しい出会いを求めていたわけ。

正直いって、アメリカのリンゴ会社のアイツには
かなり魅かれたわ。
こういう相手とだったら毎日楽しく過ごせそう、って。
でもアイツ、日本語能力がイマイチらしいじゃない?
おまけにコピー&ペーストができないなんて論外よ。
「夏まで待っててくれ、ベイビー。リニューアルして戻ってくるぜ」
なんてカッコいいこと言ってるけど、信用できない。
アイツは遊ぶには楽しいけど、
わたしが求めているのはそういう相手じゃないのよ。

そんなわたしの前に現れたのがiidaのG9
基本的な仕事を着実にこなす堅実さと
他の人にはマネできないルックス。そのバランスが素敵。
わたしにはちょっとカッコよすぎる相手だけど、
うまくやっていけそうな予感がしてる。

でもね。これだけは覚えていて。
ビビビッてきたのはあなたに会った時だけよ、talby。

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2009/05/13

GWの江ノ島

GWに遠出する、という風習がない家に育ったので
「GWにはどこも混んでいる」という決まり文句は
決まり文句でしかないと思いこんでいたのですが。

いやー、ほんとだったんだ。
立ち止まる余裕もないくらいの、混みよう。

でもそれはそれでおのぼりさ~んな楽しさがあります。
なんといっても江ノ電初体験。テンション高し。
「“江ノ電もなか”、買うから!」
と鼻息荒くしていたものの、あるのは「江ノ電サブレ」のみ。
ああ、“江ノ電もなか”じゃなくて、都電もなかだっか…。

夜は、ジャズバーでバーボンを。

021

…と言いたいところですが、
これは普通の定食屋さんの、普通のお冷。
「アジのたたき定食」はまだかー。


011

晴天でした。
それだけで十分幸せ。

横須賀美術館まで足を伸ばせなかったのは残念。
須田悦弘さんの新作、新作があ。

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2009/02/10

『禅 ZEN』

映画館へ『禅 ZEN』を観にいった。

金返せー!とは言わない。
この映画を観ようと思っちゃったのはワタシ。
映画の日でもレディースデイでもなく
ごく普通の日を選んで行ってしまったのもこのワタシだ。
あー、自分で自分を責めたい気分。

ということで、言わせていただく。
…これが私の2009年映画のワースト1だ!
(2月にして不動の第一位)

曹洞宗をうちたてた道元禅師の半生を描いた作品。
宋から仏法を持ち帰り「ただひたすら座るのみ」という
座禅の心を広めた道元。
彼の一生は、さほどドラマティックなものではなかったという。
そうした歴史上では地味な存在である道元に
あえてスポットをあてたことは、評価できると思う。

しかし、はっきり言って映画にするほどの脚本とは思えない。
映画館のスクリーンで見るに堪える映像とは思えない。
道元が悟るシーンのCGなんて、ギャグとしか思えない。
魅力らしい魅力がほとんど見つからない。
つまり…なんというか、ちゃっちぃ。

主演の中村勘太郎は、確かにいいと思う。
発声も所作も雰囲気も、他のキャストと一線を隔していた。
しかしそのせいで、彼は映画の中では異分子にしか見えず、
違和感を生んでしまったのも事実。
まわりに良い化学変化を起こさせるまでには至らなかった。

このお話はむしろ、NHKのドラマにしたほうがよかったのでは?
大河とかね。

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2009/01/20

小掃除

年末、同居人Qが帰省してしまったことを言い訳に
大掃除をやり損ねた我が家。
やろうやろうと思ってやらなかった“小掃除”だけ
やってみた。

それが、ザ・キーボード解体掃除

キーを一つ一つパッキンパッキンととり外して、
激落ちくん」で磨く。おお、きれいきれい。
効果が目に見えるものを掃除するのは楽しい。
Nの文字がほとんど消えかかっていることに気づく。
一番使うキーだもんねえ。

丸裸にされたボードの方の汚さは想像以上。
アンタ、いったい何食べたの!!
と、キーボードにツっこんでみる。
…まあ、食べたのはワタシなんだけど。
こちらは綿棒と掃除機を駆使して掃除。

小掃除完了!
配列に気をつけながらキーをパッキンパッキンと
戻していく。これもまた楽しい。

さあ、きれいになったキーボードを使って、
ネットサーフィンだ!

…んー、なんか小腹がすいたぞ。
あら、こんなところに甘栗が(はぁと)
栗をパキパキ割りながら、キーをパチパチ。
手はべたべた。もちろんキーボードもべたべたに…。

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2009/01/03

あけましておめでたいもんです

早くも三が日が終わろうとしております。
今年のお正月は、
ワタクシ史上最もハッピーなものとなりましたです。
なんだかね、色々な悩み事から解放されて
スカッと快晴!!という感じ。

…と思っていたら、出した年賀状に凡ミス発覚。
方々から問い合わせがあり、軽く凹みました。
(私からの年賀状を受け取ってくださった方、
ごめんなさい、あれ、ワタシのミスです)

でもまあ、新年の恥はかき捨てと言いますしね。
あれ、言わなかったっけ。

とにかく、本年もどうぞよろしくお願いいたしまーす。

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2008/12/27

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』

今、目の前に、とても魅力的なものがある。食べ物でも、宝石でも、恋人でも、なんでもいい。それが自分にとって本当に必要なのかどうか見極めるには、どうすればよいか。一番手っ取り早いのは、それから距離を置いてみることだ。精神的な距離ではなく、実質的な距離。つまり、遠く離れてみる、ということ。

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』の主人公エリザベスが出発するのはいわゆる"自分探しの旅"ではないと私は思う。失恋で傷ついた心を癒してくれる優しい男性、甘いパイの両方がそろったカフェは、最高の逃げ場所であると彼女は分かっている。でもそれらに簡単に踏み込むことができない。それらに甘えることが本当に自分の望むことなのかどうかが、彼女にはまだ分からないからだ。だからこそ、まずはその場所から遠く離れてみることが肝心だった。彼女に必要だったのは、自分を振った元彼と決別するための距離であり、次の恋に踏み出せるかどうか見極めるための距離だ。(カーウァイは「NYから○○マイル」という文字で、その現実的な距離を観客にリマインドさせている)

私が好感を持てたのは、その行為が決して「新しい一歩」というような大それたものではなく、単なる小さな自制であったということ。目的はないけれど、とりあえずNYから離れてみよう。そこへ至るエリザベスの心の動きは、とても自然だ。彼女はどこへ行ってもジェレミーの存在を忘れず、関係を断ち切ろうとすることもなく、葉書を送り続ける。「他人は自分を映す鏡よ」という言葉は、自分の心しか見えていなかった彼女が、他人の人生を垣間見ることで、自分自身をも客観視できるようになっていった証拠だ。

ジェレミーの元彼女カーチャも、きっとエリザベスと同じだ。一度、ジェレミーから距離を置いて、自分が本当に必要としている関係なのかどうかを考えてみたのだ。彼女は久しぶりにカフェへ現れ「あの頃の思いを思い出せるかと思って来てみた」と言って去っていく。距離を置いて自分を客観視したことで、自分に必要なのは彼ではないということを確信したのだろう。

カーウァイは、女性が求める恋愛の理想像と、男性が女性に対して求めている理想とを、ロマンティックに描き出す。悪く言えば"きれいじゃなきゃ、イヤ"という監督だ。殺し屋であろうと娼婦であろうと、いつもクリーンなイメージ。どんなに汚れていようと、どんなにエキセントリックであろうと、人は純粋で孤独。いつも誰かを求めている。それがカーウァイの主張だ。そして彼は人それぞれの痛みを均等に映し出そうとする。そして、うまく誰かとつながることができた時にはいつもきれいな映像で締めくくる。ああいう映画的な安心感が私は好きだ。(まあ、そのせいでカーウァイ作品は美形俳優ばかりが出ていて現実味に欠け、どれも似たりよったりの作りになっちゃうんだけど。)

この作品でもやはり、ラストシーンが美しい。「映画史に残る名キスシーン」というレビューをネットでよく見かけたが、私も賛成。ジュード・ロウはこのラストシーンのためだけのキャスティングだと思えば、それまでの不自然な設定にも目をつむることができる。演技初披露の歌手ノラ・ジョーンズも、かわいらしい。私はこの作品のレイチェル・ワイズもナタリー・ポートマンの作りすぎ感をちっともいいとは思わなかったので、ノラの普通っぽさがより新鮮だった。カーチャ役の女優さんは、雰囲気があるいい女だわーと思っていたら…ぎゃあ、歌手のキャット・パワーじゃないですか!動いてるの、初めてみた(爆)

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2008/12/21

ジングルベルが遠くで鳴っているのだ

クリスマスが迫っております。
うちの実家では、毎年、それぞれの人にプレゼントを用意する
習わしがございます。

欧米か!って言っちゃあ聞こえはいいのだけれど、
きっかけは父の一声だった。

せっかくプレゼントを用意しても、子どもたちは
「わーい、サンタさんありがとう!」とサンタさんにお礼を言う。
そのプレゼントは俺が買ったのだ。
なのにうちの子どもらは見ず知らずの派手な服着た
ヒゲおやじにお礼を言っている。
これは教育上よろしくないのではないか?
と、うちの父は思ったそうな。
(ま、要するに、サンタに嫉妬したわけですよ。)

で、父は叫んだ。

 「オレがサンタだ!」

それ以来、我が家では前記のような「全プレ」(懐かしー)
形式となった。
プレゼントをくれた本人に、ちゃんと直接お礼を言う。
考えてみれば、確かにまっとうな話である。

全員へプレゼントを用意するのは、かなり大変そうに思えるが
子どものころなんかは、肩もみサービス券なんかを作って
両親へのプレゼントにしたりと、工夫さえ凝らせば、
お金がなくても喜んでもらえていた。

しかし、もはや肩もみ券では許してもらえない年齢に
達してしまったワタクシ。
どうしよう。
プレゼントが買う暇がありゃしない。
買うお金もありゃしない。

…親孝行券、印刷するかな。

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2008/12/01

29歳のクリスマス

1994年のドラマ「29歳のクリスマス」。
再放送をやっているので録画して、観ている。
観てしまっている。
観てしまっているのですよ。

14年前の放送当時は、かっこいい大人の話だなあと
憧れたものだが、29歳をとうに過ぎた今みてみると
…けっこう恥ずかしかったりする。
人物の職業設定とか、ファッションとか、
ロマンスたっぷりな部分からは、トレンディドラマの流れを
汲んでいることは明らか。

とはいえ、このドラマを名作たらしめたのは、
やっぱり脚本の良さ。台詞がいいのだ。

 幸せの中にポツンポツンと不幸があるのと
 不幸の中にポツンポツンと幸せがあるのと
 どっちがいい?

最近、「幸せとはなんぞや?」と考えるのが
ブームになっているワタシにとって、
ズキューンときたセリフ。
皆さんはいかがお考えになりますか?

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2008/10/13

―禅・茶・花― 古美術と須田作品

正木美術館四十周年記念「―禅・茶・花―」展をみてきた。

会場は東京美術倶楽部。最終日に滑り込みセーフ。
会場へ向かうエレベーターで見知らぬ女性が声をかけられる。
「チケット余ってるから差し上げますよ」
きゃー、ありがたい。Qと二人、謹んで頂戴する。
私自身も招待券が余っているとよくやるけれど、
自分がもらったのは初めてだ。
最終日に行くとこういう幸せがあったりする。

雪村の「瀟湘八景図巻」がすてきだー。
数点ある「黒梅図」も。
(これらのせいでセット図録を購入してしまった。)

でもって、お目当ての須田悦弘さんの作品。

展示されたのは(会期終了しましたが、とりあえず
伏字に。知りたい方は反転させて読んでください)
雑草、 椿 、そして新作らしき桔梗の3点。

千利休というと秀吉と朝顔の逸話が思い浮かび、
もしかしたら朝顔が出るんじゃないか、と勘ぐって
いたのだけれど、さにあらず。こういう裏切りは好き。

古美術と須田作品の相性の良さは想像できたけれど、
馴染みすぎていて、ちょっだけとやりすぎ感も。
能阿弥の「蓮図」との距離感はいいのだけれど、
この美術館の空間との相性が悪かったのか?
「DO NOT TOUCH」のキャプションは邪魔だなあ。
Qは、スポットライトがちょっとねえ、とのこと。
二人とも注文の多い鑑賞者だ。

とはいえ、埼玉近美での新作どくだみ(記事はこちらこちら
に続き、ここでも新作を見られたのは嬉しかった。
活き活きとして可憐。美しかった。
本物の植物のように、枝の緑が鮮やかなのが面白い。
時を経て色あせていった頃も楽しみな作品だ。

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